- 2005-09-17 (土)
- 04 ミクシィ
人によって基準は様々だろう。
時代や環境、ジャンルによっても様々。
しかしながら、誰でも自分なりの「美」は持っている。
何かの本で
「美」という漢字は崩すと
「羊」が「大」きいとなる。
狩りなり家畜なりの大きな羊はたくさんの食料となる。
それをみんなで分けて食べたというようなストーリーが
「美」の概念の始まりではないか
というようなことを書いてあった。
それが何かの絵や写真であれ、
言葉の響きや音であれ、
仕草や表情、造形や数式や思考であれ、
「美」にふれることは
人間にとって良い作用を施すことが多い。
潤い、癒し、敬い、憧れ、向かう。
しかしながら、日常でポンポンと出会うものでもない。
それはおそらく目が素通りしているのだと思う。
小石一粒、葉っぱ一枚にしても同じものはなく、
その中に一つや二つは美しいと思えるものがあるはず。
「かわいい」「きれい」「格好良い」は言っても
「美しい」はあらためて思わない限り普段は使わない。
一日一美を自分の中に持つことで
美のサーチアイ機能も発達するのではないかしら。